文責:文学部4年 髙橋

三上真理子さん プロフィール
東京大学大学院総合文化研究科にて比較文学・比較文化を専攻。学際的な研究背景を活かし、学術研究支援機関での実務経験を経て、現在は東京とデュッセルドルフを拠点に、国際的で分野横断的なアートプロジェクトのキュレーションやマネジメントに携わる。文化の翻訳、歴史と記憶の交差に関心を持つ。近年のプロジェクトに、Thorniture by FAMEME(東京都現代美術館、2025)、爆心へ(日比谷図書文化館ほか、2025)、Conversing/Agitating the ‘90s(ZETA Contemporary Art Center、2025)など。lit.link/marikomikami
① 海外に在住するきっかけを教えてください
9歳から14歳まで親の仕事の都合で、ドイツのデュッセルドルフ近郊の田舎街に住みながら、市内の日本人学校に通い、中学3年生で日本に戻りました。この経験は、私の中で常に根底に流れていました。帰国後、日本社会における女性、特に女子高生が置かれている立場や、無意識のうちにかかる社会的プレッシャーを強く意識するようになりました。「(帰国子女として)周囲から期待される自分像」と、「(日英独いずれの言語も中途半端だと自認していた)実際の自分」との乖離に葛藤したことも。そんな折、困難な状況から命懸けで国境を越え、自らの力で道を切り開き、第一線で活躍するソマリア出身のファッションモデルの女性の存在を知り、心を揺さぶられました。この出会いは、「国際的な文脈で人間の表現に関わる仕事がしたい」と思うきっかけとなりました。自分がどこに属し、何者なのかという感覚は常に揺らいでいて、海外に出たいという思いは、単なる憧れではなく、自分自身を知るための手段でもあったと思います。そのため、駒場の比較文化・比較文学研究室に在学中には、大学から奨学金を得てベルリンのフンボルト大学へ交換留学しました。そこで、現代美術が政治や社会問題を提起する場となり得ることを知り、衝撃を受けました。社会人経験を経たのち、今度は仕事を通して、自分の立ち位置を捉え直したいと考えたことが、ドイツへの移住を決めた理由の一つです。
② 東大でよかったことは何ですか
東京大学で学んでよかったと感じているのは、比較する視点を学問の土台として体得できたことです。私が所属していた研究室では、「答えは一つではない」という前提に立って思考することが常に求められました。比較とは、どちらが優れているかを決めるためのものではなく、それぞれの社会や文化が、どのような前提や文脈のもとに成り立っているのかを理解するための手がかりです。文化や文学、芸術を、越境的な視点から眺めるとより面白くなることを学びました。
学際的で自由な環境も、今に繋がる貴重な経験でした。最初の2年間は、興味のままに授業を選ぶことができ、学部後期および大学院では所属していた比較研究室に限らず、同じ超域文化科学科の表象文化論の授業にも積極的に参加しました。需要で映画やZINEを制作したり、トークイベントを企画し、手を動かして取り組めば、専門が異なっていても、その分だけ先生方や周囲の学友から反応があることは、大きなモチベーションでした。研究には孤独やインディペンデントの精神も必要だということを痛感しましたが、多様な人々と話し、考えが揺さぶられる経験を重ねる一方で、自分一人で深く考え抜く力も鍛えられたと思います。専門以外での繋がりは、文化人類学の船曳建夫先生が主宰されていた全学自由ゼミナールに参加したことが大きいです。専門や学年を越えて集まった仲間たちと過ごした時間は、今振り返っても非常に濃密で、そこで出会った人たちとは、卒業後も仕事やプライベートで交流が続いています。
駒場キャンパスの雰囲気も、とても好きでした。留学生が身近にいて、文化的背景の異なる人たちと自然に言葉を交わせる風通しの良い空気がありました。閉館時間まで図書館で過ごし、そのまま自転車で、時には友人と深夜の渋谷を経由して帰る。そんな何気ない時間も、今では大切な記憶です。振り返ると、あの自由な時間と空間があったからこそ、焦らずに考え、遠回りすることも許されていたのだと思います。
③ 現在までの経緯を教えてください
10代後半から国際的な仕事を夢見ていました。高校時代には自治体や民間企業の高校生向け国際交流プログラムを活用し、オーストラリアとアメリカに春・夏休み中に短期滞在しました。東大で国際関係を学ぶか、芸大で文化芸術を学ぶか迷ったものの、より学際的だと思った東大を選びました。学部2年生の時に受講していた比較文学・比較文化の授業にピンと来るものがあり、日独の両文化を扱える点に魅力を感じ、同学科に進学を決めました。在学中には交換留学でベルリンに滞在し、社会や生活と密接につながった生きた芸術表現や、街に漂う自由な空気に感銘を受けました。その経験から、大学院で研究をもう少し続けることに。修了後は日本学術振興会の国際事業部に勤務し、頻繁な海外出張を通じて各国の研究者と協働し、国際的な仕事に携わるという一つの夢を実現しました。
一方で、文化芸術に関与したい気持ちはずっと持ち続けており、就業時間外で、日本国外のアートプロジェクトに関わるようになりました。その後、仕事を通じて出会った研究者がベルリンに戻るタイミングで入籍し、私自身もベルリンに拠点を移し、文化芸術のフィールドに本格的に軸足を移しました。手探りの状態から少しずつ活動の幅を広げ、東京では海外アーティストを中心に、ヨーロッパでは主にドイツ語圏で、日本やアジア地域のアーティストを中心に、新作制作やキュレーションに携わるようになりました。近年は、アーティストの越境性や日本の近代化に着目した展覧会を企画したり、「はざまの美術史?」というテーマで独自のリサーチを進め、来年2月にはポーランドの国立美術館のカタログに論考を寄稿するなど、東大在学時代に考えていたことが、実践として繋がってきた感覚があります。
社会人になってからのドイツでの生活では、ストレスを感じる場面も少なくありません。例えば「謝罪」すること。日本では円滑な人間関係を築くためのコミュニケーションの一環ですが、ドイツをはじめとするヨーロッパにおいては自らの非を認めて責任を負う重要な行為であり、相手はなかなか謝ってくれないし、その場をやり過ごすために謝ると、かえって舐められてしまうことも。日本とドイツの両地域で仕事をしているので、環境に合わせて言語だけでなく習慣も変えるように意識しています。また、キャリアの上で大きく違うのは、ドイツでは専門性が、日本では教養が重んじられていることです。ドイツの場合は、「高等教育の専攻選び」と「職業」が直結しており、ゼネラリストを志した私にとって、専門性が重んじられる美術業界で仕事をすることは簡単ではありませんでした。しかし、逆に、両文化の間に立つ越境者の視点が、現場の潤滑油として役立つ場面にも多く遭遇してきました。どんな些細なことでも、目の前の仕事や人物と真剣に向き合っていれば、それを見てくれる人が必ずいて、次の仕事や新たなご縁に繋がっていくという実感も得ました。一つのことだけに頼らなくても、すぐには形にならなくても、積み重ねた姿勢は後から必ず返ってくると感じています。
④ 後輩へのメッセージをお願いします
「比較」から見えてくるのは、答えが一つではないという事実です。主流とされている選択肢だけでなく、別のオルタナティブが存在する可能性を常に考えてみる。その姿勢は、進路選択だけでなく、研究や仕事、日々の暮らしにおいても大きな力になります。自分が出した答えも、数ある正解の一つにすぎません。
しかし、他者と比較をするとどうしても不安、不満になることもあると思います。特に、東大生のように選べる選択肢が多い環境にいると、やりたいことがわからず圧倒される瞬間もあるのではないかと思います。そんな時は、漠然と抱え込まずに「何が不安なのか」を一度具体的に書き出してみて、それを一つずつ分解し、小さな行動に落とし込んでいくことをおすすめします。不安は、行動することでしか和らがない面もあると思います。身体を動かすと、頭では解決できないものが、軽くなったりします。
最近はノウハウ本なども数えきれないほどありますが、その執筆者も所詮、自分とは何もかも違う他人です。周りに惑わされず、その人の主張がそもそも自分に当てはまるのか、自分にとって価値あるものなのか、自分なりの納得解を探してみてください。そしてじっくり考えたら、アクションとして「まずノックしてみる」。気になる人・もの・事象があるなら、そこに恐れず怯まずアプローチしてみてほしいです。
補: インタビューしてみての感想(髙橋)
起きるか分からない事柄に誰しも予防線を張りがち(自分の興味を惹く新しいものを前にしても、変化を恐れて現状維持してしまう)だが、大きな傘に甘んじず、自分の興味や掴んだ縁を逃さずに「まずノックしてみる」三上さんの生き方が素敵だった。比較とは、正解・不正解を定義するためではなく、それぞれの良さをまるっと認めることであり、私の選んだ道も(たとえ主流ではなくとも)また一つの答えだと信じる前提になる。「”評価”ではなく”比較”すること」を体得されていた三上さんだからこそ、自分よりもスゴイと思える人たちの中でも劣等感を抱いたりせずに、お互いの良さを認め合って伸び伸びと高められていた。私も、自分と他者と比べて落ち込んだりコンプレックスに囚われたりしがちだが、他者と比較してみないと自分ならではの強みや良さには気づけないのだから、果敢に「まずノックしてみる」勇気をこれからも携えていたいと思った。
