第7回東京大学ホームカミングデイ

ホームカミングデイ『フォーラムさつき』は日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」を受賞された根本かおるさん講演です

今年で7回目になる「東京大学ホームカミングデイ」は、卒業生と大学との交流を深めることを目的として、毎年本郷キャンパスと駒場キャンパスで同時に行われているイベントです。懐かしい校舎、新しい校舎、入り混じるキャンパスのあちらこちらで魅力的な催し物が行われ、企画そのものの面白さとともに卒業生だから感じることの出来る青春時代へのノスタルジアを味わいにいらっしゃいませんか?

根本かおる
今年度のさつき会は、国連職員として難民支援の現場を歩き、2006年には日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」を受賞され、現在は日本UNHCR協会事務局長を務める、根本かおるさんをお呼びして、「あなたと私の難民支援 ~難民支援の現場から~」というテーマでいろいろとお話を伺います。
司会は1999年工学部卒業後、「Doveモイスチャーシャンプー」などの開発を手がけた中川登紀子さんです。

懐しい校舎で、同窓生を前にして他では話すことの出来ない根本さんの本音やありのままの姿を見聞きできる貴重な機会です。国際化の進む中、避けて通ることの出来ない難民の問題を、その前線で見聞きしていらした根本かおるさんのお話を是非聞きにいらしてください。

<感想>“どこかで目を背けていたかもしれない難民問題を聴いて…”


日時:
2008年11月15日(土)午後2時30分~4時30分
場所:
東京大学本郷キャンパス工学部2号館222号教室他のサイトへ
講師:
根本かおる氏(86法)(日本UNHCR協会他のサイトへ事務局長)
テーマ:
「あなたと私の難民支援 ~難民支援の現場から~」

※参加費無料:どなたでも参加できます。事前申し込みは不要です。


講師略歴:1986年3月東京大学法学部卒。テレビ朝日入社後、アナウンス部・報道局勤務を経て、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院へ留学。修士号取得後、1996 年からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)勤務。トルコ、ブルンジ、コソボ、ジュネーブ本部、ネパール事務所などを経て、2007 年6 月からUNHCRの国内委員会「日本UNHCR協会」事務局長に就任。難民問題について広報活動を行うとともに、国連の難民支援への寄附・募金の拡大に努める。

2006年12月、日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」受賞。

司会略歴:1976年山形県生まれ。1999年工学部化学生命工学科卒業。2001年工学系研究科化学生命工学専攻修了。日本リーバ株式会社、ヘンケルジャパン株式会社を経て2008年5月日本ロレアル株式会社へ入社。ヘアケア開発部所属。これまでの開発商品は「Doveモイスチャーシャンプー」「フレッシュライト ヘアカラーシリーズ」など。

<感想>“どこかで目を背けていたかもしれない難民問題を聴いて…”

想像してみてください。
ある日突然届いた一枚の紙でこの故郷日本を離れなければいけなくなることを。
家を奪われ、知らない土地で最低限の食料と物資だけで共同生活をしなければならなくなる日のことを…

人種、宗教、思想の違いなどから起こる争いで人権を奪われた人々。故郷から逃げ出さざるを得ず、国際社会からの保護と支援を必要としている人々。安全な場所を求めて、国境を越えて他国に避難した人々を難民、国内の別の地域に避難した人々を国内避難民と呼びます。このような状況で支援を求めている人がこの地球上に3000万人以上もいるというのです。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は一人でも多くの難民や国内避難民を保護し、人生の再出発の支援をしようと世界117カ国、6300人の職員が文字通り体を張って活躍している組織です。今回の講師根本かおるさんはその日本UNHCR協会の事務局長で、まさにUNHCR職員として難民支援の最前線で自らが難民と向き合い、現状を目の当たりにしてこられました。現場を知る人の言葉は重い…いつも思うことですが、テレビ朝日で報道のプロとして活躍された経験をもつ根本さんのお話はより心の奥深くに語りかけてくるようで、会場にいた50人近い参加者の多くの人がまるで難民キャンプを見てきたような気分になったことでしょう。

根本さんの現場の活動は多岐にわたります。
トルコのアンカラでは難民認定審査を担当。自分の判断が一人の人の運命を変える…そのプレッシャーに眠れない夜を過ごしたこともありました。また、特にクルド民族に伝わる風習、婚前交渉をした場合に女性だけが家族から殺されるという名誉の殺人(honor killing)がいまなお存在することを知ったのです。
アフリカのブルンジではタンザニアに逃れていたブルンジ難民の帰還の手伝いをしました。国境地点で緊張した顔をしていた難民たちの顔が、故郷に近づくとほころんでいく様子を目の当たりにする。UNHCR活動の最大の喜びでした。
バルカン半島の旧ユーゴスラビアのコソボでは、NATO軍による空爆の後に赴任。アルバニア系住民が帰還した後の復旧の手伝いをしました。しかし、不安定な地域での安全はもろいもの。帰還したアルバニア系住民が、町に残るセルビア系住民を襲うということがおこり、両民族の仲介をしなければなりませんでした。そこでみたものは、女性の平和を築く力でした。どんな苦境においても、子どもを育てる義務を負う女性。大義名分にとらわれず、生きるために今何をすべきか、柔軟に考えることのできる彼女たちの存在が長年にわたる民族の対立を超えて協力するための要だったのです。

平和ボケしているといわれる日本においては想像もできないような難民の8割は女性と子ども。UNHCRが関わる難民状況は平均で17年にも及ぶといいます。でも根本さんは言います。難民はたくましい。彼らはどん底から這い上がるパワーを持っていると…。2007年UNHCRの活動資金に対しては拠出9000万ドルで世界2位。一方で難民受入数世界130位(2006年実績)の日本。徐々に門戸を開きつつある難民に対して私たちがするべきこと。それは難民の存在を知り、受け入れ、自分たちのできる支援を積極的に考えていくことなのでしょう。援助できる立場にいる幸せ。私たちが一番自覚しなければならないことかもしれません。

“大学時代はちゃらちゃらしてたよね”と同期の友人にいわれたという根本さん。自分のための幸せの先にある本当の幸せ、“人のために生きる”ことを発見した根本さんは大きく輝いて見えました。またいつ現地に赴くか分からないそうですが、これからも一人でも多くの難民のために輝き続けてほしいと思います。根本かおるさん、私たちの誇りです!

92年卒 金沢 亮子